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リレーコラムCOLUMN

2020年

ちらりとのぞいたアメリカのあれこれ(2)  弁護士 中村映利子               

(前回の続きです。2017年秋から2019年夏まで渡米して参りましたが、その中でのぞき見たアメリカと日本の違いを、私の感想を交えてご紹介させていただいています。)

(2)座席を譲る譲らない問題

   ネットを叩けばごまんと出てくる、バスや電車での座席譲る譲らない問題。これも、アメリカと日本では全く違うと感じました。アメリカではそこに論点や炎上など起こりようもないほど、多くの方が当たり前のように席を譲ります。

   帰国して間もない頃、JRの吊り広告にこんなものがありました。かわいいイラスト付きで、席を譲る際に胸の中に現れる恥じらいの感情を怪獣に例え、「『●●ザウルス』をやっつけよう!」と啓蒙するものです(やや不正確な記憶ですが…)。帰国後数日で、まだ感覚がアメリカ色に染まっていた(もとい、アメリカかぶれであった)私には、目にして数秒「席を譲ると、何が恥ずかしいの?」と、なんのことを言っているのか分かりませんでした。

    先ほどネットを叩くとごまんと出てくると述べましたが、このネットの議論を見ていると、面白い傾向が見られます。こういう議論で出てくるフレーズは「・・・べき」、「・・・は悪くない」、「本来は・・・」。この論調で話者が求めているものは「正解」です。客観的な正解は何なのか、完全解を見つけ、それに則って行動をしたいという欲求が、そこにはあるように思います。

   そのような欲求の是非はさておき(これが社会を良い方向に動かす場面もあると思いますので)、少なくとも、席を譲ったり重たいものを持ったりドアを開けたりするアメリカ人に、そのような考えは全く頭に浮かんでいないことは確かでしょう。彼らの行動規範はとても単純です。「そこに困った人がいる、手を貸そう」、それだけです。自分が割を食ってもかまわないし、相手に断られてもかまわないし、万一失礼な態度で返されたときには「彼はクレイジーだね」と周りにいる人と肩をすくめておしまいです。相手と自分を天秤にかけ、譲る「べき」かどうか思案するような過程を経る様子は、まず見受けられません。私自身、ベビーカーを抱えて地下鉄の階段を上っているときに声をかけてくれたのは、腰の曲がったおじいさんでした。息子に席を替わったり、妊娠中の私にドアを開けたりしてくれたのも、決して筋骨たくましい紳士だけではなく、華奢な女性も、高齢者や障害者の方もいらっしゃいました。

    帰国してすぐの頃、京都駅前のカフェで、0歳の娘を抱っこしながら持っていたラテをトレーごと床にひっくり返してしまったことがありました。子どもとバッグを抱えて紙ナプキンで床を拭いていると、外国人観光客の男性が「いま店員を呼んだから大丈夫だよ」と声をかけ、トレーを拾ってくれました。狭い店内はすれちがうにもぶつかりそうなほどの満員満席。すぐ横にも前にも日本人はいました。しかし、誰からも声はかけられませんでした。

   また、先日の土曜日、エレベーターのないハンバーガー屋さんで、子ども二人を連れて、肩からカバンを提げ、左手で買い物袋を掴み、ベビーカーを担ぎ、右手で食事の乗ったトレーを持って階段を上ったのですが、これまた、誰からも声をかけられませんでした。日曜日のランチタイムで店内は満員でした。

    以前は当たり前だったことが、アメリカで一度暮らすと、なんとも違和感を覚えます。手助けを必要としている姿が見えていないはずはないと思います。何をすれば良いかわからないわけでもないと思います。それでも何もしないためには、「見えないふり」という演技が必要になってくるはずです。日本人は皆演技が上手だということに気づかされました。そして残念なことに、私も以前はそんな日本人の一人だったわけです。

    では、なぜ日本人は人助けをしないのでしょうか。日本人の方がアメリカ人より心が冷たい?面倒くさがり?そんなわけではないと思います。

    日本文化は「恥の文化」とある文化人類学者が言ったそうです。確かに私たちは、相対的に見て「他人からどう見られるか」を強く意識するように思います。シカゴで通っていた学校で、「日本では『ユニーク』は必ずしも褒め言葉ではない」というと、皆一様に驚いていましたが、日本人はそれが高評価か低評価かにかかわらず、とにかく他と違うこと、他人の目に留まることを極力避けたがる傾向にあるように思います。結局、見て見ぬふりをする演技が上達したのは、この延長線上にあるのだと思います。

   それならば、いっそのこと、日本が人助けを『する』のが当たり前の国になってしまえばいいなと、心密かに思っています。人助けを「しない」ことが他人の目に留まってしまうくらい、「する」のが当たり前になってしまえばいいなと。

   ではそんな社会にするには、どうすればいいのでしょう。最も効果的な方法は、大人が子どもの前でやってみせることだと思います。社会の常識や「普通」の感性は、大人が子どもたちの前でどんなふうに振る舞うかで決定づけられていくように思います。一世代、二世代が変わった頃には、今よりもっと素敵な日本になっていればいいなと、心密かに夢想しています。

【2020年1月記】


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