住宅賃貸に関する裁判例
〜消費者契約法10条から〜
弁護士 平尾 嘉晃
第1 「原状回復とは」から始まった敷金返還トラブル
【これまでの歴史】
(1) かつてよく用いられていた建物賃貸借契約書の契約条項では、通常使用による損耗等の記載がなく、単に「原状回復」といった文言しかありませんでした。そのため、「原状回復」の意味するところが、通常使用に伴う損耗・自然損耗も含めた原状回復義務なのかが争点となりました。この点については、下記の第1で示すとおり、合理的解釈により、通常使用に伴う損耗・自然損耗は含まれないとする判例が相次ぎました。
(2) その後、建物賃貸借契約書のなかで、通常使用に伴う損耗・自然損耗を賃借人負担と明示する特約、いわゆる「原状回復費用特約」を謳う契約書が出現するようになりました。これについては、なかには私的自治を理由として有効とする裁判例もありました(東京地裁平成12年12月18日)。
しかし、下記の第2の1で示すとおり、かかる原状回復費用特約については、合理性、必要性を要求するとともに、賃借人が新たなる義務を認識し又は認識し得べくして義務負担の意思表示をしたことが必要であるとし、意思表示の不成立を認定する裁判例が主流となりました。
(3) これに対しては、わざわざ原状回復費用特約の説明の頁を設け、そこに署名押印を求めることにより、意思表示の不成立を回避するパターンの建物賃貸借契約書が出現しました。
これに対しては、原状回復費用特約自体が不当条項であると直截に認定し、かかる特約そのものが無効であるという裁判例が出されるに至りました(下記の第2の2)。すなわち、公庫物件については以前から民法90条違反とする裁判例がありましたが、公庫物件以外であっても消費者契約法10条を適用して無効とする裁判例がそうです(京都地裁第7民事部平成16年3月16日及び京都地裁第1民事部平成16年6月11日)。この判決を出発点として、大阪高裁でもこうした特約は消費者契約法10条で無効との判断が確立されております。
かかる裁判例の注目すべき点は、@特約の成立を認めつつも内容の不当性に着目して無効とした点(すなわち、もはや契約時における説明の有無は問題ではなくなる。)及びA更新契約にも消費者契約法が適用されることを認めた点(すなわち、消費者契約法の施行以前の入居であっても、その後、施行日以後に更新契約を交わしていれば、同法10条によって救済される。)にあります。したがって、時期に限定されず、ほとんど全ての建物賃貸借契約において、消費者契約法10条による救済の可能性が考えられるようになりました。
【参考判例】
第1 契約条項の合理的解釈により、通常使用に伴う損耗・自然損耗は賃貸人負担であることを確認した事例
ア 東京地裁平成6年7月1日
契約条項
「契約終了と同時に本件建物を原状に回復して、明け渡さなければならない。」
判 断
「原状回復」という文言は、社会通念上時間の経過によって及び建物の通常に使用によって生じる建物の自然の損耗についてまでそれがなかった状態に回復すべきことを要求しているものではなく、賃借人の故意、過失による建物の毀損や、通常でない使用方法による劣化等についてのみその回復を義務付けたものと解するのが相当である。
イ 京都簡裁平成11年7月29日
契約条項
「@ 本契約が終了したときは、賃借人は速やかに本物件を原状に回復して、明け渡すこと。
A 本契約の終了に際し、賃借人は賃貸人の立会いを求めて、本物件につき、賃借人とともに賃借人の居住による消耗、汚損、破壊等、賃借人の責に帰すべき修繕箇所を点検する。
B 修繕箇所の修繕に要する費用は、賃借人の負担とする。」
判 断
上記約定によれば、賃貸借契約が終了したときは、賃借人は、賃借人の責めに帰すべき建物の消耗、汚損、破壊等の修繕費費用を負担することを約したものといえるが、その責任の範囲は、通常の使用により生ずる損傷等を超えるものと解するのが相当である。
第2 通常使用に伴う損耗・自然損耗を賃借人負担と明示する特約(いわゆる「原状回復費用特約」)があった場合でも特約の効力を否定した事例
1 意思表示理論を用い意思表示がないため特約を不成立とした事例
(1)一般的事例
ア 伏見簡裁平成7年7月18日
判 断
動産の賃貸借における賃料が損料と呼ばれているように、建物の賃貸借においても、賃貸物件の賃貸中の自然の劣化・損耗はその賃料によってカバーされるべきであって、賃借人が、明渡に際して、賠償義務とは別個に「まっさらに近い状態」に回復すべき義務を負担を負うとすることは、伝統的な賃貸借からは導かれないところである。したがって、前記特約は、賃貸借契約に内在する賃借人の義務、例えば賃料支払義務、敷金差入れ義務、目的物の善管注意義務など、賃借人にとって法律上からも社会通念上からも当然発生する義務についての規定ではなく、これらの諸義務とは趣を異にする新たな義務を設定する規定であると判断する。
したがって、これに、文言どおりの効力を与え、賃借人に「まっさらに近い状態」にする義務ありとするためには、その必要があり、かつ、暴利的でないなど、客観的理由の存在が必要であろうけれども、特に、賃借人がこの新たなる義務の何であるかを認識し又は認識しうるべくして義務の負担の意思表示をしたことが必要である。
イ 仙台簡裁平成8年11月28日
判 断
居住用建物の賃貸借においては、賃貸物件の通常の使用による損耗、汚損はその賃料によってカバーされるべきものと解すべきである。したがって、その修繕を賃借人の負担とすることは、賃借人に対し、賃料支払義務、敷金差入義務、目的物善管注意義務等の法律上、社会通念上当然に発生する義務とは趣を異にする新たな義務を負担させるものというべきであり、それを負担させるためには、特に、賃借人がこの新たなる義務の何であるかを認識し又は認識し得べくして義務負担の意思表示をしたことが必要であると判断する。
ウ 伏見簡裁平成9年2月25日
上記と同旨
(2)住宅金融公庫物件の事例
ア 神戸地裁尼崎支部平成15年10月31日
判 断
賃借人は、建物使用の対価として賃料を支払うのであるから、使用する人物の個性と無関係な通常の使用に伴う損耗の修繕費は、建物使用の対価である賃料に含まれているもの解するのが相当であり、通常の使用に伴う損耗の修繕費を賃借人に負担させることは、本来賃借人において負担する義務のない義務を負担させることになるのであるから、特約により賃借人が負担すべきものとされている修繕費については、通常の使用に伴う損耗の修繕費であることが明示され、そのことを賃借人において了承して賃貸借契約を締結した等の特段の事情がない限り、通常の使用に伴う損耗の修繕費は含まれず、賃借人の故意又は過失や通常でない使用方法による損耗等についてのみ、賃借人に修繕費を負担させる旨の約定と解すべきである。
イ 大阪高裁平成15年11月21日 (最高裁の上告不受理で確定)
判 断
建物賃貸借契約にあっては、建物の使用による通常損耗がその本質上当然に予定されており、これによる投下資本の減価の回収は、実質賃料構成要素の一部である必要経費(減価償却費、修繕費)に含まれていると考えるのが合理的であり、社会通念であるというべきである。(略)本件特約の成立は、賃借人がその趣旨を十分に理解し、自由な意思に基づいてこれに同意したことが積極的に認定されない限り、安易にこれを認めるべきではない。
ウ 大津地裁平成16年2月24日
判 断
民法の規定の在り方、建設省及び公庫の原状回復義務の取扱いからは自然損耗(通常損耗)による原状回復費用は、本来賃料に含まれていると解するのが社会通念というべきであり、同費用の負担については、賃借人に負担させることの特約がない限りは、これを賃料とは別に賃借人に負担させることができず、賃貸人が負担すべきものと解するのが相当である。また、原状回復にかかる費用は、入居当初には発生しないものの、いずれ賃借人が一様に負担する可能性のあるものであり、賃料、敷金などと同様に、その内容、金額等の条件によって、賃貸借契約の重要な判断材料となる可能性がある。したがって、原状回復に関する特約については、契約締結時に充分開示して賃借人において理解される必要がある。
したがって、上記特約が有効とされる場合には次の要件を具備していることが必要である。
@ 特約の必要があり、かつ、暴利的でないことなどの客観的・合理的理由が存在すること。
A 賃借人が特約によって通常の原状回復義務を超えた修繕等の義務を負うことについて認識していること。
B 賃借人が特約による義務負担の意思表示をしていること。
2 特約の成立したことを前提に、特約の不当性に着目し、特約そのものを無効とした事例
(1)公序良俗違反で無効(住宅金融公庫事例のみなので、少し特殊な事案です。)
ア 伏見簡裁平成11年2月16日
判 断
本件原状回復義務に関する特約は、賃貸人の利益に偏した不合理かつ不公平なものであり、住宅金融公庫法35条、規則10条によって賃貸条件とすることが禁止されている「賃借人の不当な負担」にあたる。そして、以上の点に加えて、法35条、規則10条は、これに違反する約定の私法上の効力まで否定する強行法規であるとは解されないが、これに違反する賃貸条件を定めて賃貸した賃貸人の行為は、法46条によって、犯罪として刑罰の対象になるものであることなどの事情に照らすと、本件原状回復義務に関する特約は、著しく公序良俗に反するものであって、無効であるというべきである。
イ 京都地裁平成11年8月5日(上記事件の控訴審)
原判決を維持。
ウ 大阪地裁平成15年6月30日
判 断
本件特約は、賃借人の債務不履行とはいえない自然損耗等を、基準の名の下に、網羅的、画一的に賃借人の負担に含めてしまう機能を有しているもので(略)、公共性の強い特優賃法及び公庫法の規定や趣旨に反し、賃借人の過大な負担と不意打ちにおいて、賃貸人側に特優賃法上の補助や優遇措置とのいわば二重取りとなる結果を容認することにもなることなどから、公序良俗に反するものとして、民法90条による無効と認めるのが相当である。
(2)消費者契約法10条で無効
ア 京都地裁平成16年3月16日
(ア)消費者契約法施行日以後に締結された本件更新合意によって、改めて本件建物の賃貸借契約が成立し、かかる賃貸借契約に消費者契約法の適用があるとしました。
(イ)「賃貸借期間中の使用収益により目的物に物理的変化が生じることは避けられないところである」とし、本件原状回復費用特約が、民法の原則以上に賃借人の目的物返還義務を加重するものと認定。
その上で、@賃借人が賃貸借契約の締結にあたって、明渡し時に負担する原状回復費用を予想することは困難であること、A入居申込者は、賃貸人側で作成した定型的な賃貸借契約書の契約条項の変更を求めるような交渉力を有していないこと、B賃貸人は、将来の自然損耗等の原状回復費用等を予測して賃料額を決定する方法を採用することが可能であり、逆に賃借人はこの点が高いか安いかを、契約締結の判断資料とすることが可能となること等を理由としてあげ、本件の原状回復費用特約を消費者の利益を一方的に害するものと認定し、消費者契約法10条により無効としました。
イ 京都地裁平成16年6月11日
(ア)期間の定めのある建物賃貸借契約は期間満了により終了し、更新 後の賃貸借契約は更新前の賃貸借契約とは別個の契約であると認定。その上で更新合意に対し、消費者契約法の適用を認めました。
(イ)「賃貸借契約で予定されている通常の利用により賃借目的物の価値が低下した場合は、賃貸借の本来の対価というべきものであって、その減価を賃料以外の方法で賃借人に負担させることはできない」とし、本件原状回復費用特約が、民法の原則以上に賃借人の目的物返還義務を加重するものと認定。
その上で、@賃貸人の作成する復元基準表は、原状回復の要否の判断を専ら賃貸人に委ねている点で客観性を欠き、公平の観点から均衡を失すること、A入居申込者は、賃貸人側で作成した定型的な賃貸借契約書の契約条項の変更を求めるような交渉力を有していないこと、B賃貸人は、将来の自然損耗等の原状回復費用等を予測して賃料額を決定する方法を採用することが可能であること等を理由としてあげ、消費者の利益を一方的に害し、消費者契約法10条により無効としました。
第2 原状回復特約に関する現在の判例到達点
1 通常使用に伴う損耗・自然損耗を賃借人負担とする特約の効力
建物賃貸借契約書のなかで、通常使用に伴う損耗・自然損耗を賃借人負担と明示する特約、いわゆる「原状回復費用特約」については無効となります。
(1)消費者契約法10条により無効とする判決
大阪高判平成16年12月17日(判時1894号19頁)(前述の京都地判平成16年3月16日の控訴審)
まず、本判決は、建物賃貸借契約の本質について、「通常の使用に伴う自然損耗等は、使用収益権行使の当然の内容となっており、使用収益の対価たる賃料は自然損耗等による価値減耗分の評価をも考慮して金額が算定されているといえる。したがって、所定の賃料のほかに自然損耗等の原状回復費用を賃借人に負担させることは、経済的に評価すれば、自然損耗等の原状回復費用と賃料のうち自然損耗等の費用相当分として評価された当該分とにおいて、二重の負担を課することとなる。」と明示しています。その上で、原状回復費用特約は、消費者である賃借人に一方的に不利益な特約であるから、消費者契約法10条により無効であると判示します。これと同種の裁判例としては大阪高判平成17年1月28日(前述の京都地判平成16年6月11日の控訴審)があり、さらに後者の裁判例は賃貸人側からの上告が上告不受理とされています。
(2)意思解釈の問題として特約を不成立とする判例
最判平成17年12月16日(判時1921号63頁)
本判例で問題となった事例は、消費者契約法施行(平成13年4月1日)以前のものであったことから、同法の適用は無かったが、そもそも特約自体が不成立であるとしました。まず、本判例は上記大阪高判と同じく、賃料と通常使用に伴う損耗とは対価関係に立ち、建物賃貸借契約においては損耗の発生が本質上予定されていることを確認しています。その上で、原状回復費用特約は、賃借人に予期しない特別の負担となることから、「少なくとも、賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているか、仮に賃貸借契約書では明らかでない場合には、賃貸人が口頭により説明し、賃借人がその旨を明確に認識し、それを合意の内容としたものと認められるなど、その旨の特約が明確に合意されていることが必要であると解するのが相当」と判示します。
そして、本判例については、注目すべきはその事実認定部分である。問題となった事例は、賃貸人が極めて詳細な補修負担区分表を作成しており、また、入居説明会を開催し、補修負担についての説明も行われていたが、それでも「一義的に明白であるとはいえない。」とし特約の合意を不成立としています。
本判例については、特約の合意が成立する場合が極めて限定的であることを確認したと同時に、消費者ではない事業者の建物賃貸借契約(テナント契約等)においても、特約の合意が不成立となりうることを示唆したものと評価できます。
2 通常使用に伴う損耗、自然損耗について
(1)では、賃借人の負担とならない、通常使用に伴う損耗、自然損耗とは具体的にどのようなものであれば含まれるのでしょうか?
この点は、国土交通省が出している「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」に参考となる考え方が記載されてますので、一つの指針をすればよいと思います(ただし、中には疑問のある考え方もあり。)。
(2)基本的な考え
故意過失に基づく損耗であっても、その全部が賃借人負担となるわけではありません。壁紙や床のクッションフロア、その他畳や襖、障子などは消耗部材と言われており、耐用年数は限られています(通常、耐用年数は6〜8年ほどです。)。したがって、例えば5年間、賃借している場合、入居時は新品であったとしても、5年間の間に当然価値が軽減している(自然損耗、経年劣化などといいます。)ので、その価値軽減した物の交換費用を負担すれば足ります。
また、賃借人が負担する場所的範囲も汚損、損耗があった部分に限定されるので、汚損、損耗部分の補修工事が可能な最低限度の施行単位を基本として、その部分のみ賃借人が負担すれば足ります。
(3)参考裁判例
神戸地方地判尼崎支部平成21年1月21日
これは、タバコのヤニによる汚れについては争いがなかった。
しかし、約7年半の経過に伴う減価割合を90%と、賃借人の負担は10%だけと判断されました(クロス張替費用22万3384円中、賃借人負担は2万2338円のみ)。
第3 敷引特約に関する近時の判例状況
1 敷引特約とは、賃貸借契約締結時に預託した敷金から、一定金額を予め控除するという特約であり、関西地方では、敷金の7割から9割という高率の控除割合である敷引特約の有効性が問題となっています。
阪神地域では比較的古くから敷引特約が使用されていましたが、京滋地域ではここ数年で顕著に多くなってきたものです。その原因としては、古くから使用されていた原状回復費用特約が、第1で述べたとおり裁判例で無効とされてきたため、原状回復費用特約から敷引特約にシフトしていったということが考えられます。
2 敷引特約を無効とした裁判例
(1)大阪簡判平成15年10月16日兵庫県弁護士会HP(全部無効)
75%の敷引特約につき、消費者契約法10条により無効とした。
なお、入居期間は6ヶ月。
(2)佐世保簡判平成16年11月19日刊行物未登載(全部無効)
敷金224,000円、敷引家賃3.5ヶ月分(196,000円)(87.5%の敷引)の特約につき、原告が本件敷引特約の存在及び趣旨を十分に理解していたとは認められないこと、居住期間は約1年9ヶ月と比較的短期間であり、建物の損傷の存在は認められず、敷金4ヶ月分のうち一律に3.5ヶ月分を控除を行うことは当事者間の信義衡平に照らし相当でないこと等から敷引特約につき、消費者契約法10条で無効とした。
(3)堺簡判平成17年2月17日弁護士会HP(全部無効)
建物賃貸借において、保証金60万円、解約引き50万円(83%の敷引)、駐車場賃貸借契約において、保証金33,000円、6,800円償却(20%の敷引)の特約がある事例において、賃借人にとって不当に不利であること、敷引条項を削除して、ないしは、同条項の有無を選択して賃貸借契約を締結することは事実上極めて困難であることから、各敷引特約を消費者契約法10条により無効とした。
上記事件の控訴審(大阪地裁平成18年2月28日)(建物賃貸借の敷引特約については全部無効)
「本件敷引特約の趣旨については明確ではないが、通常の敷引特約と同様に、自然損耗料(自然損耗の修繕費用)、空室損料等の趣旨を兼ね備えているものであると認めるのが相当であるところ、関西地方においては、長年の慣行として敷引特約の存在が認識されており、一定の合理性、必要性を有するものといえるから、その趣旨を逸脱し暴利行為と認められる場合を除き、有効というべきである。」という判断を示した上で、建物賃貸借の敷引特約を無効、駐車場賃貸借の償却特約は有効とした。
上告審は不受理決定(大阪高裁平成18年7月26日)で確定済み。
(4)神戸地判平成17年7月14日(判時1901号87頁)(全部無効)
※敷引特約についてのリーディングケース
本判決は、過去の裁判例で挙げられてきた敷引特約の性質を、以下の5点であると分析し、
@賃貸目的物の自然損耗の修繕費用
A賃料を低額にすることの対価
B賃貸借契約終了後の空室賃料
C賃貸借契約成立の謝礼
D賃貸借契約更新時の更新料の免除の対価
いずれについても賃借人に本件敷引金を負担させることの正当な理由とはいえず、一方的で不合理な負担を強いていると判断しました。また、賃貸事業者と消費者である賃借人の交渉力の差や関西地区における不動産賃貸借において敷引特約が附されることが慣行になっており、賃借人の交渉努力によって敷引特約を排除することは困難であることから、敷引特約を賃貸事業者が一方的に消費者である賃借人に押しつけている状況にあるといっても過言ではないとし、敷引特約を消費者契約法10条により全部無効としています。
上記@ないしDの各要素の具体的検討
@ 賃貸目的物の自然損耗の修繕費用
賃貸借契約は、賃貸目的物の使用収益と賃料の支払が対価関係に立つ契約であるから、目的物の通常の使用に伴う自然損耗の要する修繕費用は考慮された上で賃料が算出されているものといえる。そうすると、賃借人に賃料に加えて敷引金の負担を強いることは、賃貸目的物の自然損耗に対する修繕費用について二重の負担を強いることになる。これに対し、賃貸人は、賃料から賃貸目的物の自然損耗の修繕費用を回収することができるのであるから、別途敷引金を受け取ることができないとしても、何ら不利益を被るものではない。
A 賃料を低額にすることの対価
敷引特約が付されている賃貸借契約において、賃借人が敷引金を負担することにより、目的物の使用の対価である賃料が低額に抑えられているのであれば、敷引金は目的物の使用の対価としての賃料の性質をも有するから、直ちに賃借人の負担が増大するものとはいえない。
しかし、賃料の減額の程度が敷引金に相応するものでなければ、実質的には賃借人に賃料の二重に負担を強いることにもなるところ、本件において、賃料の減額の程度が敷引金に相応するものであるかは判然としない。また、本来、賃借人は、賃貸期間に応じて目的物の使用収益の対価を負担すべきものであるから、賃貸期間の長短にかかわらず、敷引金として一定額を負担することに合理性があるとは思えない。さらに、賃借人は、敷引特約を締結する際、賃貸期間について明確な見通しがあるわけではなく、また、敷引金の負担によりどの程度賃料が低額に抑えられているのかという情報を提供されない限り、敷引金の負担により賃料が低額に抑えられることの有利、不利を判断することも困難である。
一方、賃貸人としては、目的物の使用収益の対価を適正に反映した賃料を設定すれば足りるのであるから、敷引金を受け取ることができなくても不利益を被るものではない。
B 賃貸借契約終了後の空室賃料
賃貸借契約は、賃貸目的物の使用収益と賃料の支払が対価関係に立つ契約であり、賃借人が使用収益しない期間の空室の賃料を支払わなければならない理由はないから、これを賃借人に負担させることは一方的で不合理な負担といわざるを得ない。
一方、賃貸人としては、新たな賃借人が見つかるまでの期間は賃料を収受することができないが、それは自らの努力で新たな賃借人を見つけることによって回避すべき問題であり、その不利益を賃借人に転嫁させるべきものではない。
C 賃貸借契約成立の謝礼
賃貸借契約成立の際、賃借人のみに謝礼の支出を強いることは、賃借人に一方的な負担を追わせるものであり、正当な理由を見いだすことはできない。そして、賃貸借契約は、賃貸目的物を使用収益させる対価として賃料を収受することができるのであるから、賃料とは別に賃貸借契約成立の謝礼を受け取ることができないとしても、何ら不利益を被るものではない。
D 賃貸借契約更新時の更新料の免除の対価
賃貸借契約において、賃借人のみが賃貸借契約の更新料を負担しなければならない正当な理由を見いだすことはできず、しかも、賃借人としては、賃貸借契約が更新されるか否かにかかわらず、更新料免除の対価として敷引金の負担を強いられるのであるから、不合理な負担といわざるを得ない。
一方、賃貸人としては、賃貸借契約が更新された後も、目的物を使用収益させる対価として賃料を受け取ることができるのであるから、賃料とは別に賃貸借契約の更新料を受け取ることができないとしても、不利益を被るものではない。
まとめ
「以上で検討したとおり、本件敷引金の@ないしDの性質から見ると、賃借人に本件敷引金を負担させることに正当な理由を見いだすことはできず、一方的で不合理な負担を強いているものといわざるを得ない。そして、本件敷引金に上記@ないしDで検討した以外に、賃借人に賃料に加えて本件敷引金の負担を強いることに正当な理由があることを裏付けるような要素があるとも考え難い。
さらに、敷引特約は、賃貸目的物件について予め付されているものであり、賃借人が敷引金の減額交渉をする余地はあるとしても、賃貸事業者(又はその仲介業者)と消費者である賃借人の交渉力の差からすれば、賃借人の交渉によって敷引特約自体を排除させることは困難であると考えられる。これに加え、上記のとおり、関西地区における不動産賃貸借において敷引特約が付されることが慣行となっていることからしても、賃借人の交渉努力によって敷引特約を排除することは困難であり、賃貸事業者が消費者である賃借人に敷引特約を一方的に押しつけている状況にあるといっても過言ではない。
以上で検討したところを総合考慮すると、本件敷引特約は、信義則に違反して賃借人の利益を一方的に害するものと認められる。したがって、本件敷引特約は、賃貸借契約に関する任意規定の適用による場合に比し、賃借人の義務を加重し、信義則に反して賃借人の利益を一方的に害するものであるから消費者契約法10条により無効である。」
この判決は、上記@ないしDのいずれの性質からしても敷引特約の不合理性であることを論理的かつ明快に論じており、一般的に敷引特約が無効であることを断じた画期的な判決です。
(5)その後に下された、枚方簡判平成17年10月14日(刊行物未登載)、明石簡判平成17年11月28日(兵庫県弁護士会HP)も、同趣旨の判決となります。また、地裁レベルでも大阪地判平成18年6月6日(刊行物未登載)、大津地判平成18年6月28日(刊行物未登載)、京都地判平成18年11月8日(兵庫県弁護士会HP)大阪地判平成18年12月15日(刊行物未登載)、京都地判平成19年4月20日、奈良地判平成19年11月9日(刊行物未登載)、京都地判平成21年7月2日(刊行物未登載)、平成21年7月23日(最高裁HP)、京都地裁平成21年7月30日(刊行物未登載)と敷引特約を全面的に無効とする判断が相次いでなされています。
また、高裁レベルにおいても、大阪高判平成21年12月3日、大阪高判平成21年12月15日などで、敷引特約全面無効判決(消費者契約法10条による無効)が相次いで出されております。
第4 定額補修分担金に関する近時の判例状況
近時、敷金の代わり、契約時に一定額の補修分担金を徴収する特約が見受けられる。例えば「室内改装にかかる費用を分担し(頭書記載の定額補修分担金)賃借人に負担して頂きます。なお、故意又は重過失による損傷の補修・改造の場合を除き、退去時に追加費用を頂くことはありません。」といった契約文言。
このような定額補修分担金については、結局、通常使用に基づく損耗の回復費用を、賃借人に負担させるものであり、また、すでに無効判断された原状回復費用特約の、呼び名を変えたものに過ぎないと考えられる。この点についてリーディングケースとなった京都地判平成20年4月30日(判例タイムズ1281号316頁、判例時報2052号86頁)は、定額補修分担金特約は消費者契約法10条により無効と判断しています。
その後、同様に無効と判断した裁判例としては、以下のものがあります。
京都地判平成20年7月24日(兵庫県弁護士会HP)
大阪高判平成20年11月28日(兵庫県弁護士会HP)
大阪高判平成21年3月10日(兵庫県弁護士会HP)
京都地判平成21年9月25日(刊行物未登載)
京都地判平成21年9月30日(刊行物未登載)
第5 設備使用料(設備協力金)等について
設備使用料(設備協力金)というのは旧住宅金融公庫法に基づく公庫の融資によって建築された物件に付されているた独特の契約条項です。旧公庫法では権利金、礼金、更新料等の徴収は禁止されており、こうした特約を付した場合には罰則もありました。そのため、こうした実質的には権利金、礼金、更新料の徴収を、名目を「設備使用料あるいは設備協力金」という名目に換えて特約を作成するという手法が横行していました。
裁判例
大阪高判平成10年9月24日
大津地判平成16年2月24日
判 断
本件設備使用料等の支払の合意は、公庫法35条、同法施行規則10条で禁止されている賃借人の不当な負担となる賃貸条件に該当すると判断される。
しかしながら、公庫法35条、同施行規則10条に違反した契約の効力は、その契約が公序良俗違反とされるような場合は別として、同条に違反することから直ちに本件設備使用料等の合意が全体として無効と解すべきではない。すなわち公庫法は、社会政策的見地から公庫法による融資を利用して建築した賃貸建物部分についての賃貸条件を規制しているのであって、それ以上に賃貸建物部分の賃貸条件の私法上の効果まで規制しているものではなく、その約定が同法等の規制を逸脱することが著しく、公序良俗規定や信義則に照らして社会的に容認し難いものである限り、かつその限度で私法上の効果が否定されるものと解するのが相当である。
公庫は冷暖房機の使用料につき、標準使用料の算式による月額使用料を徴収するよう指導しているが、(略)以上、被告が原告ら各人から設備使用料等の名目で徴収していた本件設備使用料等の金員は、公庫が指導している金額の約倍程度となり、著しく高額な使用料を徴収していることから、本件設備使用料等の合意は、その全体が公序良俗に反し無効と解するのが相当である。
京都地裁平成16年8月9日
判 断
住宅金融公庫法は、銀行その他一般の金融機関において融通することが困難な住宅の建設購入資金について公庫の融資を実行することなどにより、国民公衆が健康で文化的な生活を営むに足りる住宅供給を実現することを目的とし(住宅金融公庫法1条1項参照)、公庫が賃貸人に対し償還期間や貸付利率につき有利な条件で必要資金を融資する一方で、賃貸人に対しては賃料の限度を設定する(同法35条2項)ほか、賃貸の条件に関し、同法施行令10条に定める基準に従って賃貸することを義務付ける(同法35条1項)とともに、賃貸人が賃借人にとって不当な負担となる同法違反の賃貸条件を定めた契約を賃借人に締結させた場合には、その違反状態の解消のために、罰則規定を設け(同法46条)、あるいは融資金の弁済期が到来していなくても、いつでも償還を請求できると定める(同法21条の4第3項7号)など、同公庫に対する義務を定めることによって、同法の目的を達成することを予定しているものであって、直接的に、賃貸建物の賃貸条件の私法上の効力まで規制しているものではない。
しかし、その約定が同法等の逸脱をすることが著しく、公序良俗や信義則に照らして社会的に容認し難いものである場合は、その限度で、私法上の効力が否定されるものと解するのが相当である。
この点から本件を検討するに、上記のとおり、原告が支払った設備家賃(設備使用料)及び設備保証金は、動産の使用料及び保証金としての実質がなく、実質的な礼金及び更新料というべきものであって、住宅金融公庫が禁止する「不当な負担」に当たることが明らかであるところ、そのような金員を、動産の使用料及び保証金のような名目で賃借人が支払わなければならないという合意は、賃借人に著しく不利なものであるから、公序良俗に反し、私法上も無効になると解するのが相当である。
第6 更新料特約について
1 更新料とは、賃貸借契約の更新に際して、賃借人から賃貸人に支払われる金員のことをいいます。
その沿革は、敷金や権利金、礼金と比べるとずっと新しいものであり、戦後の住宅難で家主の立場が優位であった昭和27、28年ころに東京周辺で始まり、その後、高度経済成長期の地価高騰に伴い広がっていったものと推察されています。また、更新料は全国的なものではなく、首都圏、京都など一部の地域でしか存在しないものです。
なお、更新料は、もともとは、賃借期間が数十年と長期にわたる借地契約において、地価の高騰を原因として、高騰した地価に対応した賃料の補充的なもの、あるいは、更新拒絶しないことの対価であるとの理解がなされていました。ところが、賃料補充や更新拒絶の対価などが考えられない、アパート・マンションなど短期の借家契約でも、不動産管理業者の主導で、主に都市部で広がっていきました。
2 更新料については、従来から、その性質についての争いがありました。@更新拒絶権放棄の対価(更新拒絶に伴う紛争防止の対価)、A賃借権強化の対価、B賃料の補充などが、その性質の代表的なものとなります。
しかし、こうした性質は、もともと長期の契約が想定されていた借地契約、一軒家等の借家契約を念頭において抽象的に論争されていたものといえます。短期の契約が想定され、しかも当初から他人に賃貸する目的で建築された居住用物件であるマンションやアパートで、本当にこうした性質が妥当するのかについては、これまで、正面から議論されてはきませんでした。
これらの点を、初めて正面から議論し、更新料は消費者契約法10条により無効との結論を出したのが以下紹介する裁判例となります。
3 大阪高判平成21年8月27日(金融・商事判例1327号26頁)
(1)この裁判例は、他人に賃貸する目的で建築された居住用物件の賃貸借契約において、@更新拒絶権放棄の対価(更新拒絶に伴う紛争防止の対価)、A賃借権強化の対価、B賃料の補充などの性質はいずれも認められず、更新料特約は消費者契約法10条により無効との、初めての判断を示した画期的なものといえます。主な内容は以下のとおりです。
(2)更新拒絶権放棄の対価について
「不動産賃貸業者が事業の一環として行う本件賃貸借契約のように、専ら他人に賃貸する目的で建築された居住用物件の賃貸借契約においては、もともと賃貸人は、賃料収入を期待して契約を締結しているため、建替えが目論まれる場合など頻度の少ない例外的事態を除けばそもそも更新拒絶をすることは想定しにくく、賃借人も、更新拒絶があり得ることは予測していないのが普通の事態であるというべきである。そして、仮に例外的な事態として賃貸人が更新拒絶をしたとしても、建物の賃貸人は、正当事由があると認められる場合でなければ、建物賃貸借契約の更新拒絶をすることができず(借地借家法28条)、賃貸人の自己使用の必要性は乏しいため、通常は更新拒絶の正当事由は認められないと考えることができるから、更新料が一般的に賃貸人による更新拒絶権放棄の対価の性質を持つと説明することは、困難である。」
(3)賃借権強化の対価について
「前述の更新拒絶の場合と同様に、本件賃貸借契約のように専ら他人に賃貸する目的で建築された居住用物件の賃貸借契約においては、通常は賃貸人からの解約申入れの正当事由は認められないと考えられる。したがって、本件更新料を評して賃借権強化の対価として説明することも、難しいというべきである。」
※ なお、法定更新の場合でも更新料を徴収するという特約は、そもそも、法定更新に比較した賃借権強化が抽象的にも観念できません。
(4)賃料の補充
「仮に本件更新料が本来賃料であるとすれば、当然備えているべき性質(例えば、前払賃料であれば、賃借人にとって有利な中途解約の場合の精算)も欠いている以上、法律的な意味で当事者双方がこれを民法、借地借家法上の賃料として認識していたということはできず、法律的にこれを賃料として説明することは困難であり、本件更新料が賃料の補充としての性質を持っているということもできない。」「なお、賃貸借契約の当事者間においては、賃料とされるのは使用収益の対価そのものであり、賃貸借契約当事者間で賃貸借契約に伴い授受される金銭のすべてが必ずしも賃料の補充の性質を持つと解されるべきではない(そうでなければ、敷金はもちろん、電気料、水道料、協力金その他何らかの名目を付けさえすれば、その名目の実額を大幅に超える金銭授受や趣旨不明の曖昧な名目での金銭授受までも賃料の補充の性質を持つと説明できるとされかねないからである。)。このことからも、上記の判断は、裏打ちされるというべきである。」
(5)消費者契約法10条の「消費者の利益を一方的に害するもの」
「本件更新料約定の下では、それがない場合と比べて賃借人に無視できないかなり大きな経済的負担が生じるのに、本件更新料約定は、賃借人が負う金銭的対価に見合う合理的根拠は見出せず、むしろ一見低い月額賃料額を明示して賃借人を誘引する効果があること、賃貸人と賃借人との間においては情報収集力に大きな格差があったのに、本件更新料約定は、客観的には情報収集力の乏しい賃借人から借地借家法の強行規定の存在から目を逸らさせる役割を果たしており、この点で、賃借人は実質的に対等にまた自由に取引条件を検討できないまま 〜 これは消費者の利益を一方的に害するものということができる。」として、同法によって無効であると判断しました。
4 その他にも、上記、大阪高裁と同じように判断し、更新料特約を無効と判断したものとしては以下のものがあります。
京都地判平成21年7月23日(判例時報2051号119頁)
京都地判平成21年9月25日(同日付けで、3件の判決)
大阪高判平成22年2月24日
【2010年4月記】
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