2002年1月19日 朝日新聞朝刊掲載
弁護士 吉 田 誠 司
「小さな国選事件」
弁護士の立場は、民事事件では当事者本人に対する「代理人」であり、刑事事件では「弁護人」である。民事では「本人に代わって訴訟を行う」というのが基本のスタイルだが、刑事では本人の代理というのとは少し違った立場から、積極的に本人に有利な点を「弁」明し、過剰な刑罰、間違った裁判から本人を保「護」するのが職務である。
例えば、本人が罪を認めて「確かに自分がやった。早く刑に服させてくれ」と述べていても、もしその行為が法律的にみて罪とならない可能性があるならば、弁護人は「無罪」を主張する。また、本人が罪を軽くするのに無関心でも、弁護人はできるだけ本人に有利となる事実(「情状」という)を集めてきて裁判所に主張する。
私は刑事事件を多くは担当しないが、国選弁護でこんな事件を担当したことがある。
被告人A君は24歳の若者。以前、窃盗罪に問われ、有罪判決を受けて服役。その仮出獄中に再び盗みを犯してしまった。A君は盗みの事実について認めていたし、どうみても再び実刑判決の事案だ。A君は「ごめんなさい、ごめんなさい、謝りますから執行猶予にして下さい」と繰り返すばかり。自分からは具体的な弁解は何もできない。A君は善悪の判断はできるものの、知的障害があったのだ。
記録を読むと、彼の境遇には同情すべき点がたくさんあった。
幼いころに母親が家出し、父親のもとに3人の兄弟が残された。食べていくために必死の父親に3人の子はとても育てられず、兄弟は養護施設に預けられた。父親はしばらくの間は面会に来たが、次第に足は遠のき、その後、死亡。兄弟は天涯孤独となった。
2人の兄は中学卒業後、それぞれ施設を出て住み込みで働き始めた。A君は施設から通いで外に働きに出たが、障害のせいか、人とのコミュニケーションがうまく取れない。ただ、会話自体は普通にできるため、職場では実際の能力以上のことを要求され、それが出来なくて衝突し辞めてしまう。
また、自分ではお金の管理ができず、手元にあるお金は使ってしまう。無くなると他人のものに手をつける。A君は、誰かと一緒に生活していなければ危なっかしいのに、施設に居られるのは20歳までと法律で定められている。2人の兄も自分たちが食べていくのに精いっぱいで、A君と一緒に暮らす余裕などない。A君は成人した後は一人で生きていくしかなかった。
そんな中で、A君は仕事が続かず、手元のお金を使い果たして住所不定となり、盗みを繰り返す生活に落ちてしまった。
事件そのものは単純な窃盗だが、私は法廷で「グループホームのような所でお金の管理を他人にしてもらい、共同生活をすれば再犯は防げる。社会にそのような受け皿が十分用意されないまま、被告人にだけ厳しく刑事責任を問うても問題は解決しない」と訴えた。A君本人は何も言わないが、弁護人として「これでいいのか」という思いがあったからだ。
もちろん、無罪や大幅な減刑は法律的に無理で、案の定、A君は実刑判決を受けた。しかし、裁判官も検察官も、本心ではA君には「刑罰」ではない何か有効な手だてが必要だと感じていたに違いない。
ごく小さな事件だが、歯がゆさの残る、考えさせられる事件だった。